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弊社スタッフが綴るHASI HAUSブログ

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2021
03.08

転禍為福(災い転じて福となす)①

 転禍為福(災い転じて福となす)いつの世も、災難や失敗は尽きぬもの。それを糧に次なる良き方向を目指して、怯まず、諦めずに努力すると必ずや成功へと導かれるものなのでしょう。

 HASI  HAUS(橋本工業)は、私の曾祖父が兵庫県西紀町で製材所を営んでいたことから始まります。しかし、河川の氾濫で全棟流れてしまい、三和町で再開した製材所も同じく洪水で流してしまったそうです。それでも、再再度、新天地の三和町にて川を堰き止め水車動力利用の製材所を創り上げたのが、1921年(大正10年)のことでした。途中で諦めるどころか、製材所自体を徐々にグレードアップさせての展開。そして先代が、現在の福知山の地に新たに橋本製材所を構えたのが、1959年(昭和34年)、私が生まれた年の事です。

 その後、製材業だけではなく建築業にも駒を進めました。当時、大工さんに木材を販売する製材業でありながら、自社でも建築をするといった二足の草鞋に、大工さんが離れていった時期もあったと聞きます。建築業と製材業の2本柱で事業を進める中、大工さんとの繋がりを深めるため、親睦会を作ったり木材市を頻繁に開いたりと工夫していたのを子供ながらに見ていました。
 昭和43年、橋本工業株式会社に改名。 その後、ハウスメーカー太平住宅の工事店となり自社物件と合わせ、数多くの住宅建築をさせていただきました。そして、公共事業やマンション、店舗等の仕事にも力を入れ総合建設業の仲間入りをしていきました。

 私が入社したのが1984年(昭和59年)1月。設計事務所上がりの私を待っていたのは、複数の現場を掛け持つ現場監督の仕事でした。当初は、測量機械を扱うこともできなかった私ですが、数をこなす中で鍛えられました。当時、特に大型物件の職人さんは気性が荒く、喧嘩腰の折衝など現場の運営にも骨が折れることがしばしばでした。細かいトラブルはあったにせよ、会社の屋台骨に影響するようなことはなかったです。
ある年の年末を迎えるその時までは・・・       ②へ続く・・・   
                                                 橋本 良一

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