コラム

盆栽と日本人

2016年07月15日


山々の緑が色濃くなってきましたね。燃え盛る夏はもうすぐ。
待遠しいような、そうでもない様な、複雑な思いの57歳・橋本です。
 
 先日、お客様宅で日本人的な深い教えを頂きました。
「盆栽!」たった一枚の盆の上、小さな松に海沿いの大木の松を想い、
潮風を感じると!
そういえば、日本人は自然崇拝の延長に「借景」「池泉庭園」「枯山水」「露地」「坪庭」などを醸し出し、住まいと共に自然を感じる佇まいを好んできました。
庭の中に自然の縮図を求め、それぞれに時代背景の価値を見出してきたように思います。

  貴族の時代、庭の中央に池や河などの水の景観を取り入れた「池泉庭園」。武士の時代、禅宗の影響と共に発展した水を一切使わない「枯山水」(水無きところに水を見る、無から有を生む禅の思想とのこと)。
また、神聖な空間である茶室へ繋がる「露地」は、俗世を断ち切り汚れを洗う為の準備を行なう自然空間。
「露地」が進化して、より住まいと密接になった京町屋に多くみられる「坪庭」は、程よい光と風を取り入れるもの。
町の雑踏から離れ、ほの暗い部屋の奥に浮かぶ坪庭は、
艶やかな花よりも凛としたコケや草などが似合うのかもしれませんね。
自然が凝縮されたそれぞれに意味を持った庭は、時代と共に移り変わってきたように思います。

  今でも、ガーデニングが大流行。
自然をそのまま取り入れるイングリッシュタイプが主流のようですね。
いずれの世も、大自然に畏敬の念を抱き、その美しさや精神性を自分達の手で再現しようと自然と対話し、自然にゆだねることの大切さも学んでいるのだと思います。
それは、私たち日本人が常に四季折々の自然と呼吸し合ってきたからなのかもしれませんね。

「盆栽」の世界に思いをめぐらせるその人の心の中こそ、自然の結晶の塊なのだとお客様に教えて頂きました。   
                               
                                                                       橋本 良一